過去の自分、過去の世界を全否定しないで

 7年前から、日記を毎日つけるようになりました。日記をつけている期間は、ひどく落ち込むことがないことに気づいてきたので、自分自身へのメンタルヘルスのような気持ちでつけはじめました。

 数年前の同じ日付を振り返ってみると、未熟な自分に気づかされることも多いです。その後の展開が分かっているから、「俺って、バカだなぁ」なんて思ったりすることもあります。でも、その時の自分は、未熟なりにも、一所懸命だったことにも気づきます。それだけは認めてあげたいと思うようになりました。

 サッカー漫画の「アオアシ」を読んで教えられたことがあります。私たちはテレビ画面でフィールドの全体像を俯瞰的に見ながら、選手の動きを批評します。でも、実際に試合をしている選手に見えているのは、芝生の上の視点なんです。自分の周囲180度しか見えません。他の選手が邪魔になって見えないこともあります。そんな中で瞬間的に判断するしかないのです。判断ミスをすることだって当然あるでしょう。

 今の世の中は、人を批判する人たちが異様に多いように感じます。でも、今の常識で、過去を裁くのは卑怯だと思います。一人ひとりの能力は低下しているように感じますが、文明力のおかげで、今の方が情報量や情報処理能力が圧倒的に有利です。結果も分かっているので、いわばカンニングしているようなものです。しかも安全な立場で、冷静に物事を見ることができているのです。でも、その当時は、現実として、自分の生活や命すらかかっていたんです。平均寿命も、今よりもずっと短かった。もっと近くに死があったんです。そんな中で、当時の人たちは、それぞれに一所懸命に生きていたはずです。

 過去の自分をさげすみすぎないでほしいとも思います。バカなことをしたこともあったでしょう。でも、それが分かるのは、自分が成長してきたからです。過去を後悔しすぎる必要はないと思います。過去からは、教訓を取り出すことで、“供養”してあげてほしいと思います。今が良くなれば、未来が良くなります。未来が良くなれば、過去の意味合いが変わってきます。傷ついた自分自身を、癒してあげてほしいと思います。